「教員の魅力」アピールが足りないから、教員志望者が減る?
中央教育審議会 初等中等教育分科会 教員養成部会(第105回)会議資料:文部科学省
働き方改革についての会議を追っていくうちに、文科省のサイトを見るのが趣味になりました。というのも、結構興味深い資料が掲載されることに気付いたからです。
以下の資料に諮問内容が載っています。
http://www.mext.go.jp/kaigisiryo/2019/06/__icsFiles/afieldfile/2019/06/06/1417811_02.pdf
様々な項目が載っています。今後の教育がどのような方向性に向かうのかが見えてきます。(特に不登校に関しては中学校で10万人を超えています。私はこの現象は、今の学校システムが子供のためにならないことが増えてきたことが原因だと考えています。)
今後様々な方策が話し合われると思います。しかし、それを実現するのは難しいです。
なぜなら現場に人がいないと何もできないからです。今の人手不足の状態では、答申が出ても実行できないでしょう。
また、現場の教員が新たなことを学ぶ余裕がなくてはいけません。しかし、全く多忙化が解消されない現状では、そのよう学びの余裕はないでしょう。
まずやることは、人材確保と余裕を作り出すために業務を精選、もしくは待遇改善です。そこを実施してからでないと、どんなに素晴らしい考えも絵に描いた餅です。
しかし、今回の諮問にはその視点が欠けています。
確かにこの資料にも採用倍率の減少への危機感が書かれています。
・教職が魅力ある極めて重要な職だということを養成段階でも示していただきたい。
・公立学校で勤務することに非常に不安感を持っている学生がいる。夢を持って教育現場に入れるような環境を総合的に考えてつくっていく必要がある。
・教員を目指す学生たちに教職の魅力、生きがいを伝えていくことは必要だが、やりがいさえあれば何でもできるという働き方は問題が残る。
http://www.mext.go.jp/kaigisiryo/2019/06/__icsFiles/afieldfile/2019/06/06/1417811_07.pdf
いつまで「教員の魅力アピール」にこだわるのでしょうか?
今まで教員の魅力アピールをしなかったのですか?アピールが足りないのですか?
いやいや、さんざんやってきたでしょう。その結果が今年度の教員採用試験受験者激減ではないですか?
もう文科省や教育委員会が「教員の魅力」という言葉を使うことはやめたほうがいい。
中教審は将来の教育を考えるのもいいけど、若者にとっての本当の魅力をもっと真剣に議論したほうがいいと感じています。