BIGFACEs Opinion

教育に関するツイート、教員の働き方改革のついての意見を書いていきます。

無責任な外部の声に左右される教育現場

管理職向けの雑誌は結構面白いです。

勉強のために買ったつもりが、今やほぼ定期購読状態。

文科省や管理職が今何を問題としてとらえているかが分かるからです。

教職研修 2019年08月号[雑誌]

この中で元校長先生である大学の先生が、校長時代の経験を書いていますが、それがかなり示唆に富んでいます。要約します。

餅つき行事の準備で多忙、手伝いの保護者も疲弊→餅つきの行事を削減しようとした。→職員やPTAは賛成→地域から「小学校で餅つきを辞めるそうだ」「どうして餅つきをなくすんだ」とクレームが直接入る。→お年寄りが楽しみにしている。臼や杵は地域が郷土の文化を体験してほしいという願いが込められているらしい。→形を変えて結局継続。

確かに地域の方の協力は大切。もしかしたら地域に説明が足りなかったのかもしれません。その辺は改善の余地はあるでしょう。

でも、当事者であるPTAや教員が廃止に賛成しているのに、外部の意見で一度決まったことがひっくり返るのは、健全な組織の在り方としてはどうでしょうか?

気づきましたか、文科省さん。これが現場です。

現場は様々なしがらみがあり、部活動を縮小、廃止したり、行事の精選をすることは実現が大変難しいんです。部活を廃止するという情報が流れるだけでOBが怒鳴り込んでくるんですよ。

文科省が強制力のないガイドラインや通知を連発したり、動画でPRして業務削減できると考えているなら現場を知らなすぎる。考えが甘すぎます。

だからこそ、強制力のないガイドラインや通達で済ませるのではなく、省令や規則で強制的にでも削減していかないと、業務の精選は進みません。多忙化解消は不可能です。

この話、以下の話題に似ています。

高校野球も餅つきも誰のためにやっているんでしょうか?

野球を見ることや、餅つきに参加することを楽しみにしている「外部」の人のためでしょうか?いやいや、選手や子供のためです。

この餅つきの記事と高校野球の記事。最近本質を間違っている「無責任な外部の人」が増えているような気がします。

無責任な外部の声に犠牲になるのは当事者たちなのに。