学校ファシズムと道徳の親和性
学校のファシズムが、国に都合のいい子をつくる « ハーバービジネスオンライン https://t.co/KBHiAUcxwR
— もょもと (@bigface1979) 2019年6月17日
個よりも全体を優先する。絆を強調する。馴染めず異質な者を排除する。まさに学校ファシズム。
『全体主義とは「個人の全ては全体に従属すべき」とする思想を指す。』https://t.co/Sg8odfpZDf
— Bukazaemon (@Julian75435) 2019年6月17日
組体操に代表される集団の団結力を高める取り組みや、無言清掃などの心を磨く取り組み。
ここ最近多くの学校で取り入れられ広まる一方で、その取り組みへの「違和感」を感じる人たちからも意見が出されています。
『掃除で心は磨けるのか』の杉原里美さんがHARBOR BUSINESS Onlineに寄稿。「いま学校で起きていることは、学校ごとの問題に矮小化してはいけない(…)。公教育全体のあり方を問わなければ、子どもや家族がつまずいたとき、『(…)自己責任』にされてしまう」と。ご一読を!https://t.co/LqUGXmUd3u
— 筑摩選書 (@chikumasensho) 2019年6月17日
『掃除で心は磨けるのか』の杉原里美さんがHARBOR BUSINESS Onlineに寄稿。「いま学校で起きていることは、学校ごとの問題に矮小化してはいけない(…)。公教育全体のあり方を問わなければ、子どもや家族がつまずいたとき、『(…)自己責任』にされてしまう」と。ご一読を!https://t.co/LqUGXmUd3u
— 筑摩選書 (@chikumasensho) 2019年6月17日
学校ファシズムの仕上げが、「特別の教科 道徳」
皆さんは特別の教科道徳がそのように進められているかご存じですか?
特別の教科道徳では「内容項目」が示されています。
https://www.mitsumura-tosho.co.jp/kyokasho/c_dotoku/komoku/31d_komoku.pdf
この内容項目について、教師は「教えなくてはならないもの」と考えています。
特に問題なのは「家族愛」
様々な過程がある中、「理想の家族」を授業で扱うのは問題があると思います。
理想の家族像を授業で議論する。でも、実際の家庭はそうではない。
子供に大きな葛藤を与えてしまうのではないでしょうか。
内容項目は「人としてできて当たり前」の内容扱いされるからこそ、できていない生徒の自己肯定感さげたり、できない生徒を排斥することにつながりはしないでしょうか?
まさに内容項目は「徳目」の復活。徳目が身についていない人を差別的に見てしまうことにならないか、たいへん不安です。
道徳の授業で学んだ「内容項目」が他人を評価する指標として機能し、社会全体の利益を優先し、内容項目が身についていない、できない人を排除する。
まさに学校ファシズムの完成です。
ちなみにファシズムの語源はイタリア語の「ファッショ」
結束という意味です。(国民の「絆」もよく強調されますね。)
ね、学校が好きそうな考え方ですよね。